説教集

bruce mcconkieブルース・R・マッコンキー:主と私たちの関係

1982年3月2日

天父の最初の御子が霊としてお生まれになり、力と知恵を増し神のようになられてから、天父のもとで数知れない世界の造り主となり、全能の主としての冠を受けられました。これらすべての後に御子は死すべき体を持ってこの世に生まれ、それから不死不滅の体を得る必要があったのです。

神の御子は血肉の体を持って私たちのもとへおいでになりました。私たちのように誕生によって前世での栄光を離れ、ユダヤのベツレヘムにお生まれになりました。つまり、霊体でそれらすべての御業を果たされた後にこの世に来られ、御子はご自分の救いの業に召されたのです。 [続きを読む(英語)]

 

 William W. Parmley ウィリアム・W・パームリー: 私に従ってきなさい

2003年10月1日

「私に従ってきなさい」という言葉の本当の意味を考えるとき、その主の命令に十分に応えるには、私たちにはまだまだ学ばなくてはならないことや行わなければならないことがたくさんあることがわかります。ナザレでの初めの30年間、イエスは罪のない正しい生活を送っておられましたが、さほど人々の注目を浴びなかったのは興味深いことだと思います。(マタイ13:54–56;マルコ6:2–3) [続きを読む(英語)]

 

 Sydney S. Reynolds シドニー・S・レイノルズ:奇跡の神

2001年3月31日

この神権時代に、私たちは地上にイエス・キリストの福音が回復されるというすばらしい奇跡の証人となっています。それが起こったのは、ニューヨークのパルマイラ近くにある森に一人の少年が入って心からの祈りを捧げ、必ず受けると信じて奇跡の神に問いかけた時でした。数々の奇跡が、しかも壮大な奇跡がこの神権時代に引き続き起こっています。その中にはモルモン書が世に現れ、イエス・キリストのもう一つの証となったことが含まれます。 [続きを読む(英語)]

 

ダリン・H・オークス:復活

2000年4月1日

聖文に書かれている証言があるにもかかわらず、クリスチャンと自称する多くの人たちは、復活の事実について否定したり強い疑いを持っています。そのような疑いを予期し、あるいはそれに対抗するかのように、聖書は復活されたキリストの現れを数多く記録しています。その中で、イエスは墓でマグダラのマリヤのような個人にみ姿を現されたほか、「500人以上の兄弟たちに、同時に現れた」(1コリント15:6)ように、大小さまざまなグループにも現れています。 [続きを読む(英語)]

 

ジェフリー・R・ホランド:だれも主とともにいなかった

2009年4月5日
さて、贖いへの孤独な旅で最も困難だったと思われる瞬間について、これから非常に慎重に、また敬虔にお話します。それは、イエスが知的物理的には準備ができていても、感情と霊においては応じる用意が完全にはできていなかったと思われる最後の瞬間についてです。神が離れてゆかれるという恐るべき絶望に身をゆだねようとしたとき、イエスは極限の孤独にあって叫ばれたのです、「わが神、わが神、どうして私をお見捨てになったのですか」。[続きを読む(英語)]

 

ジョン・M・マドセン:イエス・キリストを通して得られる永遠の生命

2002年4月1日

その偉大なとりなしの祈りの中で、救い主は永遠の生命を得るための鍵を全人類に与えています:「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストを知ることであります。」(ヨハネ17:3)

しかし、どのようにして人は唯一まことの神を知ることができるのでしょうか。

救い主は答えています:「わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたしによらないでは、父のみもとに行くことはできない。」(ヨハネ14:6) [続きを読む(英語)]

 

ディーター・F・ウークトドルフ:最初の示現が結んだ実

2005年4月1日

このように、ジョセフ・スミスの最初の示現は、個人と家族の生活、ひいては全人類に祝福をもたらします。私たちは預言者ジョセフ・スミスの証を通してイエス・キリストを信じるようになるのです。人類の歴史を通じて、預言者や使徒たちはジョセフのような神の訪れを経験しています。モーセは顔を合わせて神にまみえ、自らが「[神の]独り子にかたどられている」神の子であることを知りました。(モーセ1:1-6参照) [続きを読む(英語)]

 

ゴードン・B・ヒンクレー: 明るい夜明けだ

2004年4月1日

そしてさらに幾世代もの人々がこの地上に生を受けました。その多くは争い、憎悪、暗黒、そして悪の中で生涯を送りました。しかしついに、回復というあの偉大な更新の時代が訪れました。御父と御子が少年ジョセフに御姿を現され、栄光に満ちた福音の時代の幕が切って落とされたのです。こうして世界は時満ちる神権時代の夜明けを迎えました。過去のすべての神権時代に存在したすべての善なるもの、美しいもの、神聖なものが、この最も注目すべき時代に回復されました。 [続きを読む(英語)]

 

ラッセル・M・ネルソン:キリスト・イエス - 私たちの主でありそれに勝るもの

1992年2月2日

それぞれ割り当てられた時の中で、イエスの生涯の大切なそれぞれの段階を、私たちは十分に考え理解できていなかったかもしれません。しかし今宵、キリスト・イエスのそのような重大な使命の中から10のポイントに絞って、みなさんと振り返ってみたいと思っています。みなさんはご自分のノートに番号をふってもかまいません。私にはそれぞれの責任の大切さに順番はつけられないのでそうしません。イエスの行われたすべてのことが等しく崇高なものに思われるからです。 [続きを読む(英語)]

 

エズラ・タフト・ベンソン:私が生きるので、あなたがたも生きるからである

1978年3月26日

長い間に人々に影響を及ぼす出来事は歴史的に偉大な出来事であると言われますが、この基準から考えると、一人一人の人間にとっても国家にとっても、主の復活ほど重要な出来事は他には考えられません。地上に生を受け、そして死んでいったすべての人々がやがて復活するということは、聖典に述べられている確かなことです。そして人が備えをなすべき事柄でこれほど注意を要することは他にありません。栄光に満ちた復活は、すべての男女が目指すべきものです。なぜなら、復活は確かに起こることだからです。普遍性という点において、復活にまさるものはありません。命あるすべてのものは復活するのです。「アダムにあってすべてのひとが死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。」(1コリント15:22) [続きを読む(英語)]

 

菊池良彦:主の贖い - その苦しみを私たちは理解しているか

2008年10月28日

最後の晩餐からイエスの聖なる復活の出来事までの、イエスに残された数時間について考えてみましょう。神聖で、痛切な贖いのときを理解するならば、私たちはイエスの私たち一人一人に対する深い永遠の愛に気づき、もっとイエスのことが分かるようになると思います。そうすれば主の平安を得るという祝福を受けることができます。イエス・キリストは私たち一人一人のために、私たちの霊、肉体、感情、精神には計り知れないほどの犠牲をささげられました。私たちに、その苦しみを十分理解することはできないかもしれません。 [続きを読む(英語)]

 

ダリン・H・オークス:奇跡

2000年5月7日

私たちが考え得る偉大な奇跡の最たるものは、死者がよみがえることです。イエスがよみがえらせたラザロはその一例です。(ヨハネ11:17, 39-44)私たちの時代においても、そのような出来事が起こっています。

死者をよみがえらせる奇跡は非常に例外的で神聖なことであるため、それを目の当たりにした人々は聖霊に命じられない限り決して他言すべきではありません。 [続きを読む(英語)]

 

キース・B・マクマリン:俗世界における信仰と御業

2006年11月5日

この世の基が据えられる前、宇宙に天体が現れる前に、「私たちは神のうちに生き、動き、存在してい」ました。(使徒行伝17:28参照)一方、生命は生物学が説明する以外の何ものでもないというのが世俗の考えで、根本的な真理、個々の生命体の奥にある潜在意識、そして「人もまた初めに神とともにいた」(教義と聖約93:29)ことを否定します。しかしながら、これは普遍であり反駁のできない事実です。 [続きを読む(英語)]

 

ジョセフ・B・ワーズリン:日曜日は必ずやって来る

2006年10月1日

キリストは墓から出てよみがえりの初穂となり、万人がその賜物を得られるようにしてくださいました。その崇高な出来事により、主は愛する大切な人を失った人々の心を苦しめる、耐え難いほどの深い悲しみを和らげてくださるのです。 [続きを読む(英語)]